「人をhappyにする会社」を
目指し、
常に挑戦し続ける
日本のフルーツはクオリティが高く、世界でも評価されているのですが、残念ながら日本人のフルーツの摂取量は決して多いとはいえません。そんな中で私たち芋銀は、皆さんにもっとフルーツを食べていただき、生産者と消費者の架け橋になっていきたいと考えています。芋銀が目指すのは、フルーツを通して「人をhappyにする会社」。さらに言えば「芋銀に関わる全ての人がhappyになる」ことです。そのために私たちは次の「4つの満足」と「社会貢献」に取り組んでいます。
1つ目の満足は「仲間の満足」。常にワクワクを感じ、楽しく働ける環境作りに取り組んでいます。前向きにチャレンジでき、仲間同士が尊敬し、高め合える雰囲気、そして今の仕事の意味や目的を、一人ひとりが実感できる仕組みを整えています。
2つ目の満足は「お取引先様の満足」。どんなお取引でも日々の積み重ねを大切にし、よい人間関係を作っています。また、常に相手の身になってできる限り努力し、柔軟な思考と行動で、真摯に応えています。
3つ目の満足は「お客様満足」。商品を安定的に供給することは企業として当然の責務ですが、さらに芋銀が取り組みたいのは、すべての方のニーズに応えること。「多くて食べきれない」「作る時間がない」「手軽に簡単に食べたい」…そんな現代のライフスタイルの変化に合わせ、新しい食のスタイルを提案・提供することに挑戦し続けます。
4つ目の満足は「生産者様満足」。フルーツは生産者の努力の賜物です。しかし生産者の方々には、季節や天候の変動、収穫の際の肉体労働、消費先がわからない…といったさまざまな悩みがあります。そのため私たちは、生産者と消費者の間に立って互いの声を届け合うとともに、生産に関わる方の社員登用制度や、契約農家を増やすことにも取り組んでいます。
最後は「社会貢献」。それは人々が健康であり続けるための活動です。栄養価が高く、身体と心を育むフルーツを食べていただくために、食べやすい工夫や安定した供給、新しい食べ方の提案・発信を行います。また生産者さまとの連携を密にすることで、日本の農業の発展にも携わっていきたいと思います。
創業以来継承されている「何事も相手の身になって考える精神」を守りながら、新しいフルーツの可能性を追求していくことは、私たち芋銀の使命です。社内・社外の枠を超え、人との繋がりを大切にしながら、常にチャレンジし続け、今後も「人をhappyにする会社」をテーマに歩んでいきます。
受け継がれる志を
現代へそして未来へ
芋銀ストーリー
明治年間に創業した“芋売り銀次郎”が始まり
芋銀の始まりは明治時代(1800年代後半ごろ)。まだ市場という制度が出来る前に町民相手に青果物を販売している銀次郎という人物がいました。当時、主な青果物といえば“芋”が中心。その銀次郎の人柄や愛敬の良さから、「銀ちゃんこれも売って」といろいろな農家から青果物を持ち寄るようになり”芋屋の銀ちゃん”というあだ名がつきました。そんな親しまれたあだ名が縮まり今日の“芋銀”の始まりです。その後、“芋屋の銀ちゃん”は、東海道五十三次の宿場町である鳴海宿から七里の渡との間で店を構えるようになりました。
名古屋市中央卸売市場が
開設されると同時に入場
昭和に入ると名古屋市熱田区伝馬町に拠点を移し、同業者5社で組合をつくり引き車の小売業者を相手の商売を開始。昭和27年には熱田青果物卸売市場内に青果販売部門を設立。昭和30年に名古屋市中央卸売市場が開設されると同時に、青果物仲買人として同市場に入場して以来、現在に至るまで果物を中心とした青果全般の仲卸業者として、同市場内ではトップクラスの取扱量を誇っています。
何事も相手の身になって考える
創業当初から当社が大切にしているのは、「何事も常に相手の身になって考える」ということ。客商売の取引では、「お客様がどんなモノを必要としているのか」相手の身になって考えることは当たり前。お客様の要望には、できる限りの努力をして真摯に応えるなど、柔軟な経営姿勢も心がけてきました。その結果、各種システムの導入や取扱商品の拡大・新規事業の立ち上げなど、単なる仲卸では終わらない様々な挑戦を続けています。